最後に残ったもの
この原稿は、本当はもっとハッピーな内容にしたかった。「四年間ずっと思い描いた夢を実現して、完走して、楽しかった。ラリーは素晴らしかった。悔いはありません」と言いたかった。スポンサーや読者や、応援してくれた人たちのことを考えると、ハッピーな原稿にしなくてはいけないという義務感もあった。
ところが、悔いは山ほどある。“悔しいー!”という健康的な悔いならまだしも、あの時こうしていたら、あの時そうしなければという「たら、れば」のオンパレード。
振り返れば振り返るほど、複雑な思いが交錯する。多分、すべてを整理するにはまだ時間が足りないのだ。
夢は夢であるうちが華。 実現しようと動き出した瞬間に、現実の厳しさを突きつけられる。
「では実現しない方が良かったの?」自分に問い掛けてみる。
フカフカ 否。
それでもやっぱりやって良かったのだ。自ら夢を掴もうとして、夢の内包する現実に揉まれ、私はようやく、初めてスタートラインに立つことを許されたのだと思う。
様々な思いが交錯する中、シンプルに心からうれしいと思えることもある。
それはスポンサーTシャツを買ってくれた読者とのメールを通じての交流。こんなボロボロな私でも、「私たちの夢を乗せて走ってくれてありがとう」と言ってくれた。
「若林さん、この半年間ずっと怖かった」とポロリともらしたのは同僚の若い編集者。ラリーの準備にかまけてさんざん迷惑を掛けたのに、「若林さんがこれからも続けられる環境をみんなで作ります」と彼女を含む編集部の全員がそう言ってくれた。
サンドラダーやトリップメーターを貸してくれた上に、Tシャツを3枚も買ってくれたのは、レイコ(※2)さんだ。落ち込む私に「よーこしゃん、トラブルは贈り物よ!」と何度も何度も励ましてくれた。
GPSを貸してくれて、現地に応援メッセージを送ってくれたのはローリー(※3)。「ワカバヤシ、よく頑張ったよ。オレはモンゴルの大変さを知ってるから、その大変さを共有できるヤツがいるのはうれしい」と、帰国した私に電話をくれた。
準備から本番まで一貫して支えてくださった菅原義正さんは、「いろいろあったけど、若林さんの思いはちゃんと分かってるからね」と、言ってくださった。
そう、私はパンドラの箱を開けたのだ。
好奇心に駆られ、箱を開けたとたん、ありとあらゆる困難が襲いかかってきた。自分の甘さをまざまざと思い知らされ、苦しさから逃れられない日々。
でも。
神話の中で、パンドラの箱に最後に残ったもの。
フカフカそれは希望だった。
そして私もまた、自分の中にわずかな希望を見出したのではなかったか。
私は今、再びモンゴルの地に立つために、 鋭気を養いたいと思っている。「ワカバヤシ、今度はちゃんと一緒にレー スしような」。そう言って握手してくれた尾﨑さん(※4) の気持ちに応えるためにも。
※2 山村レイコ:エッセイスト。
18 歳で日本一周バイクツーリング中に記した旅日記が注目を集める。
29 歳から精力的にラリーに出場し、パリダカをはじめとした国際ラリーに10 回以上の参戦経験を持つ。
www.fairytale.jp
※3 桐島ローランド:写真家。
ahead の前編集長でもあり、編集長時代には若林が副編集長を務めた。
モンゴルラリー、ファラオラリー、パリ・ダカールラリーに二輪で出場し、いずれも初出場ながら完走。
※4 尾罅「慎一郎:本年のRally Mongolia の2 輪エントラント。
若林とは2005 年のモンゴルで知り合う。
モンゴルラリー多数出場経験のあるベテラン。
文・若林葉子 写真・原田 淳

ahead femme 編集長
1971年大阪生まれ。立教大学文学部卒。OLを経てフリーランスに。2005年よりフリーマガジンaheadに携わり、2009年より現職。2005年7月~2006年9月まで、日経ビジネスOn Lineにて「もてるクルマ、もてないクルマ」を連載。2005年、桐島ローランド氏の2輪クロスカントリーラリー初挑戦“Beijing Ulanbaatar 2005”に同行取材し、以来、ラリーの魅力に憑かれ、今年いよいよ自身でもラリーレイドに参戦する。
Rally Mongolia 2009
8月2日(日)~11日(火)
─8etaps(ルートは未発表)

