ロックギタリストとして不動の人気を誇る菊地英昭=EMMAさん
デビュー前からTHE YELLOW MONKEY時代、そして現在までのクルマとの関わりを語ってくれた
多くのクルマ好きには“原点”と呼ぶべきモデルがあるはずだ。初めて受けた衝撃。それは意識せずとも後のクルマ選びに多大な影響を及ぼす“自分の基軸”となる。EMMAこと菊地英昭さんにとっての原点はトヨタ カローラレビン(AE86)だった。『頭文字D』に端を発するハチロクブームが起こるなんて想像すらできない’80年代中盤。八王子に住んでいた21歳のEMMAさんは、友人と大垂水峠などで初めて手にしたハチロクの走りを楽しんでいた。
「まだハチロクが新車で売っていたころだからずいぶん前ですよね。当時は思いきりチューニングしているハチロクなんてほんの一握り。僕もなけなしのお金で足回りだけをちょっといじって走っていました。峠といっても本気ではなかったですね。ある程度のスピードで走るくらいですよ。当時はシビックのほうがハチロクよりも人気があったし絶対スピードも上だった。ただ僕は“ある程度”でも十分に楽しいハチロクが好きでしたね」
4年ほど堪能した後は友人が乗っていたMR2(AW11)とハチロクを交換。コンパクトなミッドシップマシンも“ある程度”で十分に楽しめるクルマだった。そしてセラ、RX-7(FD)と乗り継いだ。初めて手にした輸入車はポルシェボクスター。「本当は911が欲しかったんだけれど、周りから『空冷は怖い』『RRは怖い』と脅されて(笑)。ミッドシップならMR2でも経験しているし大丈夫だろうと思ったんです。FDに乗っていた頃からツアーに自分のクルマで行く機会が増えて、ボクスターでもずいぶん地方を回りましたよ。高速道路を心地よい速度で走って公演地まで行くのが気持ちよかった。場所によってはスタッフに迷惑をかけることもあったけれど、そこは無理をいって協力してもらい、感謝しています。」
ボクスターの後は996カレラを手に入れた。だがどうしても空冷エンジンに乗りたくなり993タルガを購入。2台の911に乗るというロックスターならではのカーライフを送っていた(その後993を964カブリオレにスイッチしたそうだ)。ポルシェの魅力をサーキット走行のような限界領域で感じる人は多い。しかしEMMAさんは日常でも楽しさを存分に味わうことができるという。
「作り手のクルマに対する愛情。法定速度で走っていてもポルシェからはそれがひしひしと伝わってきましたね。初代以来続くあの形を守りながらもどんどん性能がよくなっているのは本当にすごい。ひとつのパーツを生み出すのに苦労している職人の姿が見えてくる。同じ作り手として感動します。ただポルシェには困った部分もあった。何かというとギターや機材が載せられないんですよ。基本的に楽器は機材車で運びますが、例えば自宅からスタジオに新しいギターやアンプ、機材を持っていくときなどは自分のクルマで運ぶこともある。レスポールのハードケースはなんとか入るけれど、フライングVやエクスプローラーは入らないんです」


このM3は’05年式のSMGU。走行2000kmの出モノを見つけ’06年の秋に購入した。パッと見はおとなしいが「この角度(写真左)からだとフェンダーがバンと広がって見えるところが凶暴っぽくていい」。エンジンなどの機関系は手を加えなくても十分に楽しめる。しかし足だけは硬すぎたので少し柔らかいものに交換した
手ごろなサイズで“ある程度”の速度域でも楽しめるクーペという、ハチロク以来続くEMMAさんの基軸。そして必要があれば荷物も積める。911以降、何台か経てたどり着いた答えがM3だった。
「このクルマはパドルシフト付きのSMGUですが、高速はもちろん街中でもほとんど自分でシフト操作をしています。悲鳴っぽい音を出しながら回る凶暴なエンジンもいいですね。日常領域でも存分に楽しめますよ。僕は常にクルマと話をしたり操作したりすることでアルファ波が出るタイプ。ゆったりすることだけがリラックスではないんですよね。車内では音楽を聴かずにエンジンが奏でるリズムに身を任せながら運転に集中する。M3はそんな僕にピッタリのクルマです」
text / TAKAHASHI Mitsuru photos / KOIKE Hiromichi

